夕子は中央棟の階段を登り、第一音楽室の前に着いた。天使、そんな言葉が、夕子の頭に浮かんだ。少女たちの織り成す旋律は、まるで夕暮れの天使のもののようであった。ただ、練習中ともあり、なかなか入り難い張り詰めた雰囲気で、夕子はドアの窓からそっと中を伺っていた。あれほど美しいハーモニーを奏でられる、言わば強豪校の部員たちに、顔を覚えられたくなかったのである。あれ程意気揚々とデビュタントに臨んでいた夕子も、及び腰になっていた。
しかし、夕子の姿に気づいた者がいた。合唱に混じらず、歌を聴いている集団の中に、鈴子がいたのである。彼女はドアの窓に映る夕子に向かって手を振った。すると、周りで歌を聴いていた女子生徒たちも夕子の方を見た。顧問も見た。歌っている少女たちも、見た。夕子の足は竦んだ。顧問がドアを開けた。濃く描かれた眉毛と目尻から、芯の強さ、そして合唱の強豪集団を作り上げる威圧感を感じ取れた。
「編入生?見学なら早く入んなさい」
夕子は、おずおずと音楽室に足を踏み入れた。女顧問は、ドアを閉めながら、鈴子の方をチラと見た。
「紹介して」
鈴子はおそるおそる立ち上がって、夕子のことを紹介した。夕子には何だか、それが大変不憫に見えた。
第一音楽室は、ブラウンの床も、ホワイトの壁も、木で出来ていて、なんとも古めかしい感じがした。夕陽が木を照らすからか、オレンジ色の部屋中に懐かしい匂いが立ち込めていた。
夕子は鈴子の隣で椅子に座って練習の様子を見ていた。どうやら今は、文化祭の練習中らしく、やはりここにも、夕子の出る舞台はなかった。
練習が終わると、鈴子は近づいてきて、言った。
「合唱、どう?興味湧いた?」
夕子は曖昧な返事をした。しかし鈴子は言った。
「合唱部、入ってよ。お願い。」
冗談めかして言っていたが、なんだかその声の響きには、悲壮感を感じられた。