そよかぜ便り

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連続テレビ小説 ゆうぐも 総集編3 ファムファタール編

第十話

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時は流れて11月になり、学生は長袖を着る季節となった。夕子は放課後、前の席の女子生徒に連れられ、ダンス部の見学に来ていた。ダンス部は、朝は校庭で、放課後は体育館棟の2階で練習を行っていた。以前居た共学校では、ダンス部はアイドルダンスを踊っていたが、こちらでは本格的なストリートダンスであった。女子校と言えば創作ダンスであると思っていた、と夕子が言うと、女子生徒二人は眉をしかめて、それはあっちがやるから、と言った。視線の先には、同じく体育館棟2階で練習している新体操部と、日本舞踊部が居た。成程これらの部活は、三つ巴状態でいがみ合っているらしかった。

ダンス部は、文化祭に向けた練習を行っていた。そのため夕子は、今入部しても、文化祭に出演することは出来ないらしく、夕子としては前の学校でも今の学校でも文化祭に出られないことが心残りではあったが、仕方ないと飲み込んだ。彼女の良さは、現実に対する諦めの早さにもあった。夕子はダンス部の基礎練習に混ざっていた。やっていることは前の学校と差程変わらない。しかし彼女には気がかりなことがあった。それは、鈴子の事だった。彼女とも、放課後に合唱部の見学に行く約束をしていたのであった。ダンス部の生徒たちは、夕子が放課後いっぱいダンス部の見学をするものだと思っているらしかった。顧問の先生も夕子の隣にずっと付いている。困ったことになった。夕子は時計をチラチラと確認した。16時15分、あと1時間で部活の時間が終わってしまう。

「大丈夫?」

ダンス部員の1人が、周りの関心が夕子から外れたタイミングで話しかけに来た。

「もしかして、ほかの部活も見に行く予定だった?」

ひどく察しのいい生徒だった。夕子は胸を撫で下ろした。夕子が事情を話すと、彼女は、その旨を顧問に伝え、夕子を解放してくれた。夕子が礼を言うと、彼女は笑って、

「じゃあ絶対ダンス部に入ってねー」

と言った。彼女の名前は黄紅井 聖子であった。この一言が、夕子のその後を大きく変えることになったのは、言うまでもない。

 

第十一話

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夕子は中央棟の階段を登り、第一音楽室の前に着いた。天使、そんな言葉が、夕子の頭に浮かんだ。少女たちの織り成す旋律は、まるで夕暮れの天使のもののようであった。ただ、練習中ともあり、なかなか入り難い張り詰めた雰囲気で、夕子はドアの窓からそっと中を伺っていた。あれほど美しいハーモニーを奏でられる、言わば強豪校の部員たちに、顔を覚えられたくなかったのである。あれ程意気揚々とデビュタントに臨んでいた夕子も、及び腰になっていた。

しかし、夕子の姿に気づいた者がいた。合唱に混じらず、歌を聴いている集団の中に、鈴子がいたのである。彼女はドアの窓に映る夕子に向かって手を振った。すると、周りで歌を聴いていた女子生徒たちも夕子の方を見た。顧問も見た。歌っている少女たちも、見た。夕子の足は竦んだ。顧問がドアを開けた。濃く描かれた眉毛と目尻から、芯の強さ、そして合唱の強豪集団を作り上げる威圧感を感じ取れた。

編入生?見学なら早く入んなさい」

夕子は、おずおずと音楽室に足を踏み入れた。女顧問は、ドアを閉めながら、鈴子の方をチラと見た。

「紹介して」

鈴子はおそるおそる立ち上がって、夕子のことを紹介した。夕子には何だか、それが大変不憫に見えた。

第一音楽室は、ブラウンの床も、ホワイトの壁も、木で出来ていて、なんとも古めかしい感じがした。夕陽が木を照らすからか、オレンジ色の部屋中に懐かしい匂いが立ち込めていた。

夕子は鈴子の隣で椅子に座って練習の様子を見ていた。どうやら今は、文化祭の練習中らしく、やはりここにも、夕子の出る舞台はなかった。

練習が終わると、鈴子は近づいてきて、言った。

「合唱、どう?興味湧いた?」

夕子は曖昧な返事をした。しかし鈴子は言った。

「合唱部、入ってよ。お願い。」

冗談めかして言っていたが、なんだかその声の響きには、悲壮感を感じられた。

 

第十二話

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それはまるで謁見であった。

 

王女の雪解けのような白い肌に照らされ、黒い制服はまるで白い衣裳のようであった。

王女の髪は茶色がかっていて、夕陽の下では白っぽく見えた。

色素の薄い目は、優しげに彼女を眼差しでいた。

形のいい薔薇色の唇は、ふわりと結ばれていた。

纏う空気は周りの者を圧倒する威圧感と、蕩ける様な甘い官能を兼ね備えていた。

 

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放課後、慣例として、夕子はシスターである映子と待ち合わせをしていた。事務手続きの言伝や、今日一日で感じた不安感、感想などを述べたり、連絡先を交換したりするためである。夕子は音楽室を後にして、昇降口へと向かった。部活終わりの多くの学生が行き交っていた。夕子は映子の姿を探し、靴を履き替え外に出た。映子は花壇に囲まれた噴水の下のベンチに座っていた。部活終わりだからか、その肌は汗の痕で光っていた。そこには、もう1人、生徒がいた。

 

ごきげんよう

他の人が言っていたら吹き出してしまうような挨拶を、その人はいとも自然に言った。初め、その言葉が発されたことに、夕子が気づかないほとであった。

その美しい人は、白雪 露世といい、映子のシスターの3年生の生徒だと言う。

勿論、夕子や映子も整った顔立ちをしているが、露世のそれは、常軌を逸していた。

あるいは、顔立ちそれ自体は整っていないのやもしれない。しかしそれすら分からないほどに彼女に備わった仕草や居立ち振舞は完璧なものである。

 

軽い挨拶と、今日の報告を済ませ、3人は解散したが、家に帰ってからもうつくしい人のイメージは、夕子の脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

では、露世と会った人物が全て彼女の瘴気に充てられるのであろうか。

否、

それは夕子だけであった。彼女以外の人間には、露世の纏うあやかしに気づくことなく、彼女を汎用な一生徒として捉えたのであろう。

そのいい例が映子である。

白雪露世という少女が、鍵穴にカチャリ、と鍵が噛み合うように、噛み合った瞬間に、夕子の瞳孔が開き、指先がツンと痛み、頭が焦げ付いたように、夕子の知らなかったものを体現した存在だったのである。

それは、官能でも、頂点でも、恋慕でもなかった。

その感情は、簡単なものであった。

 

LONGING

 

それ以外の何者でもなかった。

 

第十三話

 

転入から3日、決して優柔不断な訳でもないが、夕子は未だに部活を決めかねていた。1日置きにどちらかの部活の見学に行っていた。

夕子は、秋の肌寒い朝の教室で、単語テストの勉強をしていた。

「おはよう」

鈴子がカバンを下ろし、話しかけてきた。

「おはよー」

前の席の2人の女子も、同様にしてきた。

「今度遊びに行くんだけど紫雲さんも来る?」

夕子は嬉しさに飛び上がりそうになった。まさか、転入3日で遊びに誘われるだなんて、考えていなかった。夕子は、悲観主義者であった。その後話は進み、4人でお台場に遊びに行くことになった。この話は、母にしたら喜ばれるだろう、そんなふうに夕子は思った。

晴れやかな気持ちで話していると、副担任の若い女性教師が教室に入ってきた。女子生徒たちは、シーンとする様子もなく、談笑を続けている。

「紫雲さん、ちょっと。」

夕子は立ち上がり、スカートの裾を直すと、教壇に向かった。

「あ、私は副担任の佐倉八重子といいます。今日は担任がいないので、私が代わりに担任をするんです。それでね、」

八重子は教壇に荷物を下ろすと、書類を漁り始めた。が、なかなか見つからない。夕子は零れる八重子の茶色い髪の束を見ていた。量の多い髪の毛には、パーマが大きめに、緩やかにかかっている。そして、その影は菫色のニットに落ちかかり、豊満な胸の上で揺れていた。夕子にはひとつの哲学があった。それは、女性の最も理想の形は、全てを跳ね除けるような高貴さを持つこと、そして、もうひとつは、全てを包み込むような、この世の人間の母のような姿であることだった。八重子はまだ若く、未熟ではあるが、何れ成熟し、母としての存在となり得るだろう、と夕子は思っていた。自分自身は、前者になりたかった。それは、彼女自身の母の影響に拠るところが大きい。が、彼女の母もまた、一人の少女の母なのである。その矛盾に、夕子は気づかずにいる。或いは、気づいていて、その欠陥を埋めようとしているのやもしれぬ。だが、夕子のその形のいい可愛らしい唇は、何者をも拒むようには感じられない。彼女は、愛されるべき対象として生まれてきた筈である。しかし、これらは全て人間の外側であり、魂の問題は別なのである。夕子はその影に心を奪われつつも、視線に気づかれずよう、八重子の絶えず動くふくよかな腕から注意を離さなかった。

「あ、これ。」

八重子はどうにかプリントを取り出した。

「委員会に入ってもらわないといけないんだけど、生憎うちのクラスでは図書委員が人気がなくて、誰もいないの。私が担当なんだけど、図書委員をやってもらってもいいかな?」

夕子は書類に記入するために席に戻った。

「あの人、新任の先生なんだよ」

鈴子が言った。前の席の女子は、まあ女子校にしか就職できないよねえ、あれじゃ、男の子は大変でしょう、などと言い、キャッキャと笑った。夕子は八重子の方を見た。彼女は垂れ目がちな目で、夕子を見た。そして直ぐに、視線を書類に落とした。

 

第十四話

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昼休み、夕子は図書室にいた。図書室は音楽室の真上にあるにも関わらず、防音設備が整っているのか、トランペットの音1つ聞こえてこなかった。代わりに、穏やかなクラシックのピアノが流れていた。

「ありがとう。人が足りていなかったの。」

八重子は、司書席の座ってパソコンを触っていた。夕子は水曜日と木曜日の昼休みに、八重子と一緒に本の貸借を管理する係になった。

「司書さんのひとりが産休でお休みを取っていてね。」

夕子は図書室を一周した。ふんわりとした新しい絨毯は、暗く、濃い赤色をしていた。

司書席は1番奥の書庫の前にあった。そして、すりガラスの窓の傍に閲覧スペースがあった。あとは全て本棚である。夕子は柔らかな光の当たっている閲覧スペースに腰掛けた。校舎に取り囲まれている校庭が見える。

昼休みだからか、校庭は閑散としていた。

「学校は慣れた?」

気がつくと、八重子が隣に立っていた。いくつかの本を抱えている。夕子が頷くと、八重子は優しく微笑んだ。

「困ってることがあったら、先生に相談してね」

 

放課後になると、夕子は再び選択に迫られた。合唱部か、ダンス部か。夕子はそれを選べなかったので、放課後は交互に練習に出向いていた。

今日はダンス部に行く日だった。更衣室のドアを開けると、前にも話しかけてきた黄紅井聖子(まりこ)が真っ先に声をかけてきた。

「入部届け、持ってきた?」

夕子が首を振ると、聖子は残念そうに肩を竦めた。

「迷ってる部活でもあるの?」

夕子は口ごもった。ここで何かを言うべきではない、と思ったのである。夕子が無言でいると、聖子は早めに決めた方がいいよ、と言った。

今日も基礎練習から始まった。夕子としては、早く振りを踊りたかったので、基礎練習は退屈であった。

ぼんやりと窓から見えるバレー部や陸上部を眺めていると、映子の姿が見えた。部活のことで悩んでいると相談しようかと思ったが、何となく、映子には近寄り難いものを感じてしまった。

それと同時に、夕子はあの美しい人について思い出した。白雪露世。彼女のやわらかなまつ毛。

そんなことを考えているうちに基礎練習が終わり、振り入れの時間になった。

夕子は踊るメンバーには入っていないが、傍で振りを覚えて、一緒に踊った。

「やっぱり、うちに入った方がいいよ」

聖子が言った。夕子の気持ちも少しだけ、そちら側に振れた。

 

昇降口に着くと、合唱部も丁度練習を終えていた。その中には、鈴子の姿もあった。その形のいい口は、「あ」という様に開いた。夕子はどうしようもない気持ちになった。