そよかぜ便り

些細な日常をお届けします!

愛の証明

三島由紀夫の愛の渇きを読んだ。ゆきりんの中で1番好きかもしれない。っていうか、ゆきりんすごすぎる。恋愛とか嫉妬とかそういう感情の機微を明確に言い当てられて、それを文学という構造の中に上手くはめ込むのすごすぎ。この世の全てを構造化出来てないとそれは無理だ。まあ客観的になりすぎて自分のことすら作品として昇華してしまったのだからそれも驚きだけど。女心って存在するのかな?別に男でも女でも感じる気持ちは変わらないと思うけど。だから男が女心が~って言うのはわかるけどそれを客観的なワードや若しくは女が言うのは違う気がする。でもゆきりんはマジで女の子。まあ、実際ホモの時はネコだったしさもありなんだよね。いやぁゆきりんすげえわ。

愛の渇きは骨折した人が癖になって何度も骨折するように、失恋という不幸に自動的に向かっていってしまう女の話なんだけど、1回目は夫の浮気とその病死、2回目は庭師への片思いとその殺害。1回目はまあ自然とそうなったけど2回目に関しては庭師が女中を妊娠させて、その女中に嫉妬することを生きがいにしてたらあまりにも辛すぎて自傷行為とかするようになったから女中を追い出すんだけど、それで庭師に想いを伝えたら相手もあーはいはい僕も愛してますよ(そもそも女中のことすら愛してない)みたいな態度に蛙化現象起こして無理になったのにその後も生活が続いていくのが許せなくて殺してしまうって感じ。まあなんかラカン的に分析すると享楽…至高の自己破壊に向かう快楽を求めすぎた故の結果なんだろうね。

ゆきりんはほんとに凄い。だってあんな田舎の生活やその祭りの描写とか直接プロットに関係ないようなディディールまで精緻に書いてる。本当にそこで生活してきたみたいに。

そして女の人の心を書くのもほんとに上手い。夜逢い引きする時に、ふと庭師の部屋を覗いて、布団から起き出した痕があるのをみてキュンとする、、みたいなのとか、女中に対しての感情とか、まじでただ東大主席で出ただけじゃ書けないと思う。

ゆきりんが生きてなくてよかった。

あの人が生きて平成のTKファミリーとか見ながら今の若者は云々って言ってたり

宮崎駿みたいな誰得の隙自語作品かいたり

そんなことしてたらゆきりんの人生の文学性は失われてた

だからまだギリ日本が生きてる時に作品として遺ってくれてよかった

 

うそ

あんな悲しい死に方しないで欲しかった

あんな喜劇的且つ悲劇的な死に方しないで欲しかった

今も生きてて、全く今の若者はなんて文章書きながらあの快活で磊落な大笑いをしててほしかった

文学なんていらない

人を惹きつけては火の中に飛び込ませるような美の形なんていらない

でもありがとう

素晴らしい作品を沢山残してくれて