そよかぜ便り

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連続テレビ小説 ゆうぐも 総集編1 デビュタント編

第一話

ピンクに滲む夕暮れの空│北竜町ポータル

私はサガンにはなれなかった。別になりたくもなかった。

嘘、なりたかった。

でも、そんなことはどうでもいい。

 

彼女はららぽーとの服屋から出てきた。黒い制服を纏って。その顔は赤く上気していた。彼女の頬を染めていたのは、他でもない、彼女自身に値札が付くからである。

 

彼女のデビュタントは、明日だった。明日、彼女は評価をされるはずだった。何故ならば、彼女にはそれに相応しい器量と、話している誰もを魅了する機知があったのだから。

 

彼女はららぽーとの服屋の紙袋を大事そうに抱えながら、美容院に向かっていった。

美容師は、いつも彼女の黒々とした髪を切っていた。しかしその髪は決して美しいものではなかった。

 

彼女は髪にパーマ液の匂いをさせて、美容院を後にした。彼女の髪は絹の様に美しいものになっていた。

 

フードコートには彼女の母親が待っていた。彼女の母親は大層厳格な人であった。家は裕福ではなかったが、紳士的な祖父と、没落貴族の血を引く祖母の血筋のためである。彼女の品のある天性の仕草は、恐らくそういったルーツがあった。

 

彼女たちは車に乗った。明日の反応を楽しみに。そして、輝かしい未来に胸を躍らせて。車は丘を越えた。川を越えた。彼女の髪は空いた窓からの風でたなびいた。パーマ液の匂いを香らせて。

 

窓の外に見える空は夕暮れだった。紫色の空が、秋の寂し気な川に反射していた。木々は裸であった。紫色は、彼女の一番似合う色であった。官能的な、ボルドーの唇に。薔薇が咲いたような、その頬に。彼女の名は夕子。この時間、誰よりも主役でいられる名であった。そして、彼女が最も忌み嫌う時間を体現した名前であった。

 

第二話

 

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夕子は吊革に捕まり、電車に揺られている。今日が初登校である。夕子は東日本に生まれ、西日本に移り、再び東に帰ってきたのである。しかし住宅の手配が進まず、転居は彼女の入学に間に合わなかった。そこで、11月になって、夕子は編入することとなった。

夕子は、着ている制服が自身に与える価値を周囲の視線から感じ、少し気が昂った。落ち着くために、流れゆく景色を見ながら、前の学校でのあれこれに思いを馳せる。これから行く学校は女子校である。前の学校は共学校であった。彼女には想い人がいた。

しかしそれももう、昔の話になる。

隣では母が真っ直ぐ前を見つめて立っている。夕子は不安げにその横顔を見る。自身の目とおなじ目には、自身のものより長く、上を向いた睫毛が生えていた。

「もう着くよ」

母は前を見たまま言った。

夕子の胸は高鳴った。ずっと憧れていた、瀟洒な学校。入学試験以来、訪れたことはなかった。その中高一貫の花園は、オフィス街にあった。夕子と一緒に、大量のサラリーマンが降りていった。

地上に出て数分で、その花園はあった。

オフィス街の片隅にある故、広すぎも豪華すぎもしないが、新しく、小洒落た校舎だった。正門から校舎に続く道は小花に彩られていた。花のせいか、清潔感溢れる香りがした。また、合唱部の朝練か、美しい歌声が聞こえてきた。

約束の時間の5分前には到着していたにも関わらず、既に校舎の入口には案内役の先生と、もう1人、女子生徒が立っていた。

「おはようございます。」

母が言うと、2人も同じように返した。夕子は、その挨拶が「ごきげんよう」では無いことに少し驚いたと共に、そんな想像をしていた自分がおかしくて、笑いそうになってしまった。しかし、女子生徒の視線に気づき、ハッと息を飲んだ。

その女子生徒は頭から足先まで夕子を舐めまわすように見た。まるで、値踏みするかのように。

「説明にもありました通り、彼女が紫雲さんのシスターです。」

これが夕子と筒地映子の出会いであった。

 

第三話

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夕子の通う中高一貫校は、宗教系の学校ではなかったが、戦後にできた比較的新しい学校であるため、他校のいい所を盗んでいた。そのひとつがシスター制である。

一つ上の学年にシスターがつき、面倒を見たり、相談に乗ったりする仕組みである。生徒はこれにより、コミュニケーション能力や責任感、面倒みの良さを身につけていくという。トラブルもつきものだと想定されるが、そういった場合にはシスターは変更されたり、誰かが掛け持ちしたりする。

夕子はこのシスター制に大変惹かれていた。自分だけの特別な存在ができるというのは、それだけ嬉しいものなのであった。

だが実際、この仕組みは形骸化していて、シスター同士は疎遠になっていることが多かった。

 

映子は夕子に校内を案内した。映子はスラリとした背の高い女子生徒だった。膝下までの長いスカートから覗くふくらはぎは引き締まっていて、少し日に焼けていた。ポニーテールの下の項も、ほのかに太陽の痕が残っていた。

昇降口から入り、まず、吹き抜けの空間があった。校舎はいくつかの棟に別れながら、広い中庭を取り囲むような回廊型のものになっていた。外部から見られるのを塞ぐのにいいシステムだろう。校庭はなく、外体育や部活はこの中庭で行われるらしかった。プールは体育棟と呼ばれる体育館のある建物で行われていた。

「あれがダンス部。うちには、舞踊部、ダンス部、体操部って、似たような部活が3つあるんだよね。」

ガラスの向こうに見える中庭では、ダンス部の生徒たちが何やら騒がしい音楽で朝練をしていた。朝の光が少女たちの肌に落ちかかる汗を照らしていた。

「私はバレー部に入ってるの。うち、球技系の部活は少ないんだけどね。バレーとバスケが1番人気。次にテニスかな。」

テニス部も遠くで練習していた。夕子は踊る少女達を見て、前の学校でもやっていたダンスを続けようと考えた。

2階に上がると、合唱の声が大きくなっているのが聞こえた。第1音楽室で、合唱部が練習していた。吹奏楽部はというと、別校舎にある第2音楽室で練習しているようだった。

「うちの学校は合唱部と吹奏楽部が強豪で二大巨頭だからわざわざ棟を分けて音楽室を配置してるんだよ。」

と、映子は言った。

「入るのも難しくて、オーディションがあるから、紫雲さんが入れるなら、高校からになるね。」

夕子は合唱に興味があるわけではなかったが、高校からなら、初めてもいいか、なんて思っていた。

「教室棟はこっち。高校と向かい合わせになってるの。」

教室は1年生が3階、2年生が2階、3年生が1階にあった。若いうちに体力を付けろという意図があるのだろうか。

 

映子の案内が終わると、夕子は1人階段を登り、教室に向かった。彼女の黒いスカートの裾が、階段を上がる度にふわふわと揺れた。

愈々、彼女のdebutanteである。

 

第四話

 

 

ホームルームが始まるところで、1年風組の教室前には担任教師たちが待機していた。彼女たちは時間ぴったりに教室に入っていく。夕子の姿を認めると、担任の女教師は相好を崩した。それは夕子の器量のためである。女教師はその容姿から、彼女が排斥されることはないと踏んだのである。

教室とは、かくも残酷なものである。

女教師と共に教室に入ると、それまでざわついていた教室が水を打ったように静まり返った。少女たちは見慣れぬ顔に目を丸くした。そして暫くすると、ヒソヒソ話を始めた。彼女たちは早速、転校生の品評会を行っていた。

夕子が名前を言うと、教室から拍手が起きた。彼女は「認められた」ということであろう。

彼女には席が割り当てられる。ちょうど欠けていた40人目の席に座ることになった。彼女が歩き出すと、黒い服の少女たちは、風に揺れる植物のように身をかわし、既にある通り道を広くした。彼女たちが上体をずらしたとき、それぞれの花の香りが夕子の鼻腔を着いた。

これが女子のみの学校…。夕子はその華やかさに些か面食らっていた。

 

ホームルームが終わると、正式な始業までに暫く時間がある。勿論彼女は話の中心であった。あれやこれやを聞かれるうちに、彼女は何となくクラスに馴染んで行った。それはなにより、彼女の美しく、少しだけ腫れぼったい濡れた唇から零れ出る言葉が無難なものであると共に、その容姿、黒々とした肩下までの髪と、薔薇色の頬、美しい歯並びに拠るものであった。全身が彼女自身を品のある鑑賞物として仕立て上げていた。

しかし彼女の脳裏にはひとつの危惧があった。

それは母の言葉である。

 

イオンモールだとか、吉野家だとか、マクドナルドだとか、ファッションセンターだとか、言わないように。」

 

庶民派の乙女はチェーン店に心酔していた。それは何より、彼女が倹約家であり、家が裕福な訳では無いからであった。夕子は高水準の暮らしはしていたが、それが無限に安定しているほどのものではないことを自覚していた。そのため彼女は決して高額のものを買わなかった。安いものを高く見せる技術に長けていた。

以前居た共学の学校も、ある水準以上の暮らしをした者しかいなかったが、彼女は自身の暮らしを臆せず周りに披露した。

結果、転居が決まっていたから良かったものの、彼女は疎まれた。

そのため母は、一番に彼女の貧乏性を、その青春を壊すものとして恐れ慄いていたのである。

 

そして、夕子自身も自らそれを意識した。

 

第五話

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夕子が何気なく、当たり障りなく会話を交わしていると、始業の時間となった。学力が変わらない学校に推薦で編入してきたため、授業の難易度はそれほど上がらなかった。しかし、周りの集中度合いは、以前の学校の方が高かった気がする。ポーズは、成程今の学校の方が遥かに集中している。先生がチョークの色を変える度に、教室中にペンのカチャカチャ音が鳴った。だがそれはあくまでも美しいノートを取るためで、花の香りのする少女たちは内心上の空で授業を受けている、フリをしていた。

夕子はこの柔らかな光の膜に包まれたような雰囲気に驚いた。時間がゆったりと流れて行った。

2度の休み時間を超えると、夕子の周りの人だかりも減っていった。その中で、彼女はクラスには既にいくつかの派閥があることに気がついた。その中の、どこかに入れるだろうか。

「紫雲さん、私たちと一緒にお昼食べない?」

昼休みになると、隣の席の女子生徒が彼女に話しかけた。夕子は承諾した。すると、隣の席の女子、そして前の席の二人の女子は机をくっつけてきた。

「じゃあ私たち、お昼買ってくるね。」

前の席の二人は財布を手に教室を後にした。夕子は白い風呂敷に包まれた弁当を取り出す。

「紫雲さんって、部活とか決めてるの?」

夕子は顔を上げた。隣の席の女子は胆吹鈴子(いぶきりんこ)と言った。

「あ、まだ入って初日では決まってないよね。」

彼女は本当は決まっている、と言おうと思い口を開いたが、鈴子の言葉に同調しておいた。

「そしたら、色んな部活見学してみたらどうかな?」

そう言って鈴子も弁当を取り出した。

「私は合唱部だから、言ってくれれば紹介するよ。」

夕子は、二人が帰ってくるまで弁当を開けないべきなのだろうかと思っていたが、鈴子は何食わぬ顔で弁当を開けて食べ始めた。夕子もそれに倣った。

「あ、朝練ちょっと見たんだね。合唱部は大変だけど、人数多いからサボろうと思えばサボれるんだよね。」

夕子の弁当は和食であった。普段は洋食、和食、購買の繰り返しである。好物の唐揚げが入っていることに頬が綻んだ。

「今日はホイド買えたね~」

暫くして前の席の二人が帰ってきた。二人はいつも購買で買っているらしかった。二人ともサラダと、人気商品で、いつもは直ぐに売り切れてしまうというホイップクリームの挟まれたドーナツを手に持っていた。

「何の話してたの?」

「ああ、部活ね、うちらはダンス部。」

ダンス部。夕子が反応すると、鈴子は「ダンス部興味あるんだー」と言った。

「え、前の学校でもダンス部だったの?即戦力じゃん!」

前の席の女子の1人が言った。

「今日見学来なよ。」

もう1人が言った。

 

そして放課後、夕子は合唱部とダンス部の見学に行くことになった。