そよかぜ便り

些細な日常をお届けします!

人魚姫

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お願いします。もう声なんていらないから、私を人にしてください。

 

僕が中学の頃に好きだった子は歌が上手かった。

お分かりの通り、彼女は恋のために歌を辞めた。

お分かりの通り、彼女は泡になった。

 

ポテトが出来上がる音と、集団でゲームを中高生の声と共に、夕日は沈んでいく。ポテトはしなっていく。

あのころは少し高いと思って食べられなかったビックマック

あのころは単品で頼んでいたけど、今はセット。

なんて、贅沢した気分だが、同世代の奴らは銀座で寿司、豊洲で高級イタリアン。

かたや僕は春日部でマック。

でも、美味しいんだから仕方がない。

それに、提案したのは僕ではなく…

「ふふ、初めて来たんです」

カマトトぶっているのはフィアンセの麻里。

筋金入りの箱入り娘。女医であり高給取りの麻里とっては、マックが寿司や高級イタリアンなんだろう。

「あ、それは嘘です」

麻里はチーズバーガーをおちょぼ口で食べている。

 

覚えていますか?私、一時期中村先輩と仲が良かったんです。その理由は、文化祭のビックバンド。軽音部と吹奏楽部、一緒にやっていたでしょう。その時にたまたま知り合ったんです。

 

「あー、えっと、そっちのコントラバスの人いる?」

初めてのリハーサル。中村先輩に30人の前で呼ばれて、緊張で顔が赤くなりました。おずおずと手を挙げると有名人のあの人。中村先輩がいるじゃありませんか。近寄ると、綺麗な声で、

「うちのベースとちょっとズレてるから譜面比べて欲しいんだよね」

と仰られました。私はベースの方と話していましたが、中村先輩の存在感に圧倒されてしまって。

「中村先輩がいらっしゃるなら、ビックバンドもとてもいい出来になりますね。」

思わず声に出てしまいました。すると、ベースの方は苦笑いして言いました。

「彼女ね、ボーカルじゃないのよ。」

私は驚きました。だって、コンクールで優勝して、テレビにも出たことのある、歌の上手いことで有名な中村先輩が、ボーカルをもうやっていないだなんて。私はその時、中村先輩は自らの長所を増やすために、他のことに挑戦しているのだと思いました。

 

帰りに、私はたまたま昇降口で中村先輩にお会いしました。

「あ、さっきのバスの子。うまくいきそう?」

「はい。ありがとうございました。」

「よかった~!ありがとう。」

中村先輩はミルクティーを飲んでらしたのだけれど、躓いて零してしまわれました。

「ああっ!」

見ると、私の制服にはべっとりとミルクティーが。私も苦笑いして中村先輩の方を向きました。

「私の家近くにあるからおいで!」

そうして私は上着だけ体操着を着て、中村先輩のお家に行ったのです。

 

中村先輩のお部屋はもので溢れていました。あちこちにギターの教則本がありました。

私の服が乾くまでの間、中村先輩のお部屋でお茶を頂いておりました。

「中村先輩は、どうしてギターをされているんですか?お歌も上手いのに。」

思わず、気になったことを直ぐに聞いてしまいました。私の悪い癖です。

「なんだと思う?」

聞くということは、自分の口から言いたくないような理由なのでしょう。

「あ、好きな人がいるとか、でしょうか?」

恐れ多いと思いつつも、半ば冗談のつもりでそう聞きました。

見ると、中村先輩は顔を真っ赤にして下を向いてらっしゃいました。

「あら、違うようですね?」

これも冗談。すると中村先輩は顔を真っ赤にしたままこちらを見ました。

「違くないよ…」

私はびっくりして思わず笑ってしまいました。でも、どうして好きな人がいたら歌を辞めてしまうのかが分かりませんでした。

「好きな人がボーカルだからさ。一緒にバンド組みたくて。」

なるほど。私は合点してお茶を飲みました。部屋中に散らばったギターの教則本は、まるで彼女の恋愛のバイブルのようで、可愛らしく思えました。

「でも、ギターもお上手ですものね。いずれ組めますよ。」

「そうかな?」

「弾いてみて欲しいです」

私の無茶苦ぶりにも中村先輩は、気さくに対応してくださいました。

 

そして、エレキギターをおもむろに手に取り、弾き語りで「いとしのエリー」を演奏し始めました。歌声に聞き惚れて、私は思わず涙を流してしまいました。お恥ずかしいですね。しかし、その歌声を邪魔しないほどギターの技術も高く、違和感なく聞くことが出来ました。けれど、やっぱり、お歌の方が圧倒的でした。

「アコースティックではやられないんですか?」

「だって、バンドだからね…」

中村先輩はギュッとピックを握りました。ピックは涙の形のような、魚の鱗のような、そんな形をしていました。

「どうしてそのお方が好きなんですか?私は、なんていうか、先輩にはやっぱり歌っていて欲しいなんて、烏滸がましいですが、思ってしまいます。」

「なんでだろうね。なんだか、かっこいいんだよね。」

そう言いながら照れて笑う中村先輩の顔は本当に可愛らしくて、私が好きになってしまいそうでした。

 

ひとつ上の学年の先輩方の卒業式の時には、そんなことはすっかり忘れてしまいました。ある時、教室で騒ぎが起きました。

どうやら中村先輩の好きな人だった軽音楽部の部長は同じ部活の他の人と恋仲になってしまったらしいのです。

「その方はどなたなんです?」

「うーん、ボーカルをやってる、地味な女の人だった気が…」

その瞬間、雷に打たれたような気がしました。それじゃあ、わざわざボーカルをやめてギターをし始めた彼女はなんだったのでしょう。

その方に告白されたから付き合った、ということらしいのですが、なぜ中村先輩は告白することが出来なかったのでしょう。

彼女の自信なさげな笑みを見て、塩辛い気持ちが胸に上がって来ました。

彼女が歌を続けていて、自信を持てれば、きっと…。

 

その後の中村先輩の消息は知りません。同窓会で聞いた噂によると、大学を中退し、どこかの誰かと暮らしているとか。

歌を歌って輝いている彼女の姿が今でも目に浮かびます。

 

そう言って麻里はにっこりと笑った。

お前が彼女を殺したんだ、とでも言いたげに。

 

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