そよかぜ便り

些細な日常をお届けします!

ミルクティー

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締め切られた教室は、人の声とお弁当の匂いと暖房のせいで、むわっとした空気に包まれていた。

私は、ミルクティーの甘さで食後の眠気から目を覚まながら、佐藤の話を聞いていた。

佐藤は、お弁当を食べながら、スマホを見ながら喋っていた。器用なものだ。

「ながら食べすると、太るよ」

と私が言うと、

「ミルクティー飲んでると、口臭くなるよ」

と返された。

私は閉口して、ポケットに入っていたガムを噛み始めた。

それを見て佐藤は笑った。

さっきから延々と片思い中の相手について語っている。

「でさ、目が5回合ったんだよ!これ、脈アリじゃない?だって、目が合うのなんて向こうもこっち見てたってことでしょ?期待していいのかなあ」

ずっとこんな調子だ。でも、私が

「じゃあ告ってみればいいんじゃない?」

と言うと、「それはちょっと~」ともごもごする。

特に生産性もなく自己暗示と確認のために私は使われている。

本音を言えば、私はもう食べ終わったのだから教室を出て図書室に行きたい。

窓の外に目をやると、図書室の辺りから鳥が飛び立っていった。

でも、そんなこと出来ない。佐藤と私は唯一教室に残っている女子だから。

クラスの女子は10人いるが、8人は吹奏楽部で昼練なのだ。吹奏楽と野球の強豪校ではあるが、さすがにこれは、極端すぎる。

でも、実際そうなのだから仕方ない。

それも、佐藤を怒らせたら溜まったものでは無い。スクールカーストの悲しき定めだ。

ようやく佐藤が食べ終わり、「お昼寝するー」と突っ伏した。

いつも通り、あと10分程度しかない。

私は走って図書室に向かった。廊下ですれ違った人たちは、不思議そうに私を見た。恥ずかしい。

図書室のドアを開けると、教室の空気とは打って変わった爽やかで涼しい空気が広がっていた。本の匂いがする。

図書室の奥の外に繋がる扉を開くと、小さな3段ほどの階段がある。そこを降りて真っ直ぐ中庭を通ると、グラウンドだ。

球技をして遊んでいる生徒たちに混ざらず、黙々とお弁当を食べているのが、堤だった。

私は、安堵のため息をついた。

よかった、まだいたんだ。

「やっほう」

扉を開けて肩を叩くと、堤は骨ばった体を強ばらせた。驚かせてしまったようだ。

「あ、どうも」

振り向くと、私だと気づき頭を下げた。

「さっき鳥にお弁当あげてたでしょ?」

というと、堤は頬の端っこの方を歪ませた。笑ったということだ。

「食べきれなかったんですよ。メンチカツ3つは、さすがに厳しい。」

というようなことを一生懸命伝えてくれた。

私は喋る度に唾液で光る彼の歯を見ていた。

堤は、軽度の知的障害を持っていた。といっても、日常生活に大きな支障がある訳では無い。勉強はとても出来るし、特別支援学校に入れられたら、むしろ不便な程度だった。それでも、どもってしまったり、不自然だったり、そういう所はある。そのせいで、どうしても周りから浮いていた。それは、昼休みに、こんな誰もいないところでお弁当を食べているところを見れば一目瞭然だ。そしてそのことは、彼が、皆が教室で仲良くご飯を食べている時に一人でいることに、負い目や寂しさを抱いてる、ということなのだ。でも、堤が自分でその感情に気づいてるのかは私には分からない。たまになんとなく悲しそうな目でグラウンドで遊ぶ生徒たちを見ていることからしか、分からないのだ。

私は残り僅かな時間を噛み締めながら、空を見上げて堤と喋っていた。

堤は、何かを伝えるのに時間がかかるから、ゆったりした気分になるのだ。

でも、制限時間が短すぎて、最後は急かすようになってしまう。それが嫌だった。

願わくば、最初から一緒にお弁当を食べたい。

と思ったその時だった。

「ここにいたんだ。」

ドアが開いて、佐藤が顔を出した。

「道理でいつもちょっと急いでると思ったんだ。へえ、何、付き合ってんの?」

こちらの気持ちはしっかり伝わっていたのだ。

「違うとしたら何?同情?それ、逆に酷いよ。どうせ突き放すのに。」

堤はドアの音や、突然知らない人が入ってきたことに怯えて、少し震えていた。味のなくなったガムが居場所を無くしてコロン、と舌に落ちた。

「まあいいよ、もうお昼食べなくて。他のクラスの子と食べるから。」

と言って、佐藤は扉を閉めた。

ガチャン、と音がした。鍵を閉められたのだ。

「鍵、閉められちゃった。」

私が言うと、堤は焦った顔をした。

「ど、どうすれば...」

「でも、外から回っていけばいいよ。」

そう言って階段を降りようとした途端、視界がぐわんと揺れた。

思いのほかのショックと、自分の愚かさに打ちのめされてしまった。

 

そうか、この気持ちは、とんでもなく甘いと思っていた気持ちは、ただの臭い同情だったのか。

自分でもそんなこと認めたくなかったし、そんなことないと大声で否定したかった。

でも、誰も信じてくれない。

誰も信じてくれないことに価値はあるのだろうか。

本当にそんなことないのなら、周りの意見なんて気にならないはずだ。

でも...

そもそも、堤は私のことどう思っているんだろうか。彼には、どれくらい私の話が通じていたのだろうか...。

私のせいで、きっと変な噂が立って、さっきみたいに知らない人に脅かされて。

私が堤に関わらなければこんなことにならなかったはずだったのに...。

 

 

そんなふうに思考がグルグル回っていた。

堤は不安そうに私の顔を覗き込んでいた。彼にとって勉強は大切なことなのに、授業すら遅れさせてしまった。

足が動かなかった。

何をすれば償えるのかもわからなかった。ただ頭が混乱していた。上履きには情けない私の影が落ちていた。

 

「あれ、匂いが違う。」

 

堤が言った。私は驚いて顔を上げた。

 

「いつも、ミルクティーの匂いがするのに。」

 

ガムの匂いのせいだ。そうだ、堤は私のことをちゃんと知っていたんだ。私は毎日ミルクティーを飲んでいた。

 

私は、堤の手を引いて教室に向かった。堤の手は暖かかった。

 

 

 

cocoro auctionのミルクティーって曲いいですよ