段々秋らしい気候になってまいりましたね。
どのように日々お過ごしですか。
あたしは、なんてことのない平凡な日々を、過去最高スコアに届かないようなスコアの日々を送っています。
ところで、あなたは時々こう思うことはありませんか。
自分の思考が、もっと広く、大きくあればな、と。
一冊の本しか読まなければ、思考はそこで終わってしまいます。
でも、こうも思いませんか。
いくら沢山の論文を読んでも何も思いつかず、知識だけ増えていく人は、何も読まずに素晴らしいひらめきを持つ人に比べ劣っている、と。
だから何よ、あんたはおとなしく渓流のカヤック、深緑の中で、青空が中世ヨーロッパ風ファンタジー作品のように広がった午後で、それ以外のシーンのことなんて考えず、ゆったり進む時間・・・それは、体育の授業のあとの放課後のような、そんなことを考えてればいいのよ
そうね、だから難しいことは考えずに、美しい風景についてだけ考えましょう。
インスタント美しい風景。
わたし達は絵画や写真で美しい風景を見て、そこに自分がいてほしい、と思うこともあるでしょう。
それは時にエロ同人に出てくる、崩壊寸前の夏の街の青春だったり、3D作品のエロゲに出てくる豪邸の庭のプールだったり、するかもしれません。
そういったものを想起するとき、わたしたちは、そこに行くまでの道のりを放棄してしまいます。
私も21になりました。年老いた老婆です。
だから、そこに行くまでに、飛行機やら電車やら車やら人間やらに乗らなければならないことにうんざりしてしまって、妄想だけでいいやと思うようになりました。
小学生の頃なんて、しょっちゅう妄想ばかりしていました。
でも、皮肉なことに、実質的にわいせつな本能に突き動かされていたのが小学生時代だけだったのに、そのころはわいせつな想像など一つもしていなかったのです。
枯れた井戸になった今の自分なら、画力と気力さえあれば全く異なる性癖の異なるジャンルのエロ同人を毎日書くことが可能です。
これはなぜでしょう。
でも、フロイトーラカンからすると、小学生の頃の私のほうがよほど分析のしがいがあるでしょうね。
やってないことをやったということと、やったことをやってないということ、どちらのが難しいでしょう。
あなたはこんなこと、考えたことはありますか?
あなたに聞いているのですよ。
坂のやたらと多い駅前の道を、誰かと歩いているあなたに。