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平山雄一の"ライヴハウス虎の穴"】 ゲスト:クリープハイプ(尾崎世界観) : 平山雄一の「ライブ漂流」|エキサイト・ミュージックモール

猫の伸びすぎた爪のせいで、猫が恐ろしい存在になっている。

人間は無理に変わる必要はないと考える。

その時だけの良さもあるし、その時のその人が好きってこともある

忘れたとか成長とかそういう言い訳を聞くくらいなら自分だけ過去にいて

勝手に過去にしてもいいと思う。

 

さて、本題に入ると、「exダーリン」の2022ver.が配信された。

私は高校二年生の冬からクリープハイプというバンドが好きで、

youtubeなどで廃盤音源やメジャーデビュー前の曲を聞くのが好きだった。

 

勿論新しい曲も好きだったが、やはり2000年代初期の閉塞感の中で歌う尾崎世界観の姿が、受験勉強のため「勉強をしなければならない」青春の強制終了という義務に押しとどめられる自分の姿や、何者にも成れない自分の姿と重なったのかもしれない。

 

だからこそ、今の尾崎世界観がきらいだ。文学賞の候補になったり、テレビのレギュラーになったりしているから、だけではない。一番の理由はあいみょんと付き合っていることだ。

これだけ書くと、「尾崎世界観と結婚できると思ってたの?」「ああ、バンドマンに本気で恋しちゃったのね」なんて思われそうだ。

5%くらいはそんな気持ちがあるかもしれない。

そうではない。

aikoとか、年上の女性、同期のバンドマン(つのまいさの様な)ならよかったのだ。

10歳も年下の、国民的(?)なシンガーソングライターというのが受け付けない。

尾崎世界観の曲に出てくる女性はどこか脆い部分を必死で隠している、という感じがある。そしてそれは何となくでしかないが、売れっ子の、年下の、メジャーに近い女性シンガーソングライターの姿ではないのだ。

私はどうしても野心?を感じてしまって嫌だった。

そして本当の意味での「品のある女性」を選べない彼に失望した。

あいみょんの曲は何曲か聞いたことがあるが、確かに、メロディーラインのなつかしさや今どきの若者に受けそうな尖った歌詞は良かった。しかし品はない。

別にこれは批判ではない。事実だ。

まず彼女は過去にE-girlsのオーディションに参加していたそうだ。

E-girls尾崎豊とか、小沢健二とか、弾き語りは全く合わないのではないだろうか。

なんだかその時点で薄っぺらい、浅い、品のない感じがするのだ。

有名な曲がゲームの曲のパクリというのもなんだか嫌だ。

ああ、この曲に出てくる「月」もこいつらにけがされてしまった。

週刊誌で、二人で月を見ているところが撮られていた。なんだか悔しい。

 

つのまいさは尾崎世界観の元カノで、あいみょんと付き合った年にシングル「愛す」(あいみょんのことをうたっている)のアレンジを頼まれて、次の年に自殺した。

ほんとうにつのまいさ(赤い公園のボーカル)が尾崎世界観と付き合っていたかは定かではないが‥‥。

 

こういうことを書くと、犯罪になるのだろうか?嫌いなものを嫌いとすら言えないのなら、死んだ方がマシだ。

 

つまるところ、尾崎世界観は変わってしまったのだろう。ファンに何とかサービスしようとしてみたりとか、イベントを企画してみたりとか頑張ってはいるが、やはり、テレビの「あちら側」に行きたくなったのだろう。

 

「芸能人になって 忘れてしまったよ」

 

「可愛く生まれてきちゃったんだからしょうがないと思って我慢する」という歌詞に救われてきた「タレントサッド」という曲のサビの一説。これが今の彼を表す言葉だし、もう23歳の若い尾崎世界観は帰ってこない。そこにいるのは37歳で40代を迎えるにあたっていつまでもバンドマンでいていいのか、作家になりたいけど中途半端でなりきれないがどうしよう、そんな惨めな背中を見せる「有名女性シンガーの彼氏」だ。

 

2019年に自分の葬式というギャグみたいなMVを作ってた時点でそれが自分でもわかってたんじゃないだろうか。

 

確かに声は優しくなったし、客と喧嘩しなくなった。

今は尖っていることは良しとされない。

そういう時代になったのだ。

丸くなったとか、使い古された表現だが、

クリープハイプのファン層も子持ちししゃもが増えてきて、

丸くて、子供がいて、優しいのが受けるのだ。

たまに過去の恋愛を「ちょっと思い出し」たりして。

それかくだらない動画サイト(Tiktok)で若者に媚びるか。

 

なんにせよ、あたしの好きだった、頭脳警察とか、syrup16gとか、銀杏BOYZとかに影響を受けて、魔法のiらんどに大好きな言葉で日々の鬱憤を吐き出したり、高円寺のシャッター街で弾き語りをしたりしていた時の尾崎祐介はもういない。

っていうか、あたしが高二ではまったときにはさなぎになってた。

でも、なんか、ファンクラブが抜けられない。

もう、使わなくなって3年も経つのに。

毎月400円を献上している。

これが未練なのだろうか。

 

exダーリン、勿論2022ver.ではなくって、2009年の弾き語りver.を聞いていて、思った。

人にはいつか、別れが来る。

それは、変わることだったり、縁を切ることだったり。

あたしはずっと、そんな別離が怖くて、中身のない空っぽな関係に執着していた。

でも、そういうのって、大丈夫なんだ。

毎月無駄に払っている400円に、そこに残っているかもわからない期待にすがるなら

いっそさっぱり切って、exダーリンでも聞いて、泣いて、

綺麗な思い出にしてブログにでも書けばいい。

 

なんだか、尾崎世界観のおかげで吹っ切れた気がする。

分からない、今だけかもしれないけれど。

思い出との向き合い方もわかった気がする。

だって仕方ないよな。

 

「私語と」という尾崎世界観の本、買わなかったけど、覚えてもないけど、最後についている「終わりに」という詩。

あれを読むために、今度本屋に行こう。

あれを読んだら、ちゃんとしようかななんて思う。

でも無理かな、どうなんだろうね。

 

ねえダーリン

今夜は月が嫌いだよ